
大いなる魂の波動に、魂が共鳴し突き動かされる
なにかに取り付かれたように手びねりをする清燐。清鱗の描く、今にも飛び跳ねそうな生き生きとした魚たちの姿はなんと表現したらよいのでしょうか。無造作に描かれたかのように見える線彫りや大雑把に塗られたようにも見える絵の具も、皿の上で魂を吹き込まれ、動き出しているようです。
世界の陶芸の名品・古九谷の最大の特徴のひとつは、なんといっても骨描きの伸びのある「勢いのある生き生きとした線」でしょう。五彩の上絵の具を使わない清鱗ですが、そういう意味では、もっとも忠実な古九谷の継承者なのかもしれません。
取り付かれるように動く清鱗の指さばき、筆さばきを見ていると、表現者である清鱗自身に、明確な創意があるのだろうかとさえ思えます。何か別のものが清鱗の身体を借りて、彼の手や指を動かしているのでないかと思えるほど神がかり的です。
「造っているとか、絵を描いているとか、そんな感じが全くしない。あるリズムが自分を導いていってくれる」「自分が何も語らなくても、作品がみんな語ってくれている。だから、全力投球したいんだ」と語る清鱗自身も、大いなるものに動かされているという実感を常に感じながら制作をしているのです。
自分自身や自然・宇宙をふくめた森羅万象と向き合い、生も死も時空も超えた大いなる生命の旋律に触れ、その波動に彼の魂が共鳴して突き動かしているのでしょう。
自ら描いた鮎が水面に飛び跳ねる
清鱗の手で、みるみるうちに粘土に命が吹き込まれていく。ある日骨董店で見つけた染付けの皿との出会いが、彼の人生を変えてしまいました。名もない職人の無心の筆さばきに震えるような感動を覚えた清鱗は、なんと、42歳にして長年勤めていた会社を辞め、芸術の道にのめりこんでいきました。
それから彼は南画の門に入り、無心の筆さばきを自らのものとするために、何年も寝てもさめてもひと筆描きの鮎だけを描き続けました。
描いたものを先輩に見せたところ、初めは「皮だけだ」と言われ、次に見せた時には「骨がない」と言われ、次に見せた時には「裏がない」と言われたといいます。
無心に絵を描く日々が続きましたが、やがて、自ら描いた鮎が清らかな清流をここちよさそうに泳ぎだし、その鮎が水面にピンと跳ね上がって鱗がきらきらと輝くのを見た時、彼は、完全に天の波動に共鳴することが出来たのでしょう。
魚の水墨画が一人前に描けるようになった時には、草や花など今まで描いたことがないものでも、すらすらと描けるようになっていました。波動の芸術家・清鱗の誕生の瞬間です。
















