
描かれていない背景まで見えてくる小宇宙を目指して
九谷焼・雪山窯五代を受け継ぐ、越田秀平。描かれた線というものに性格が出るのであれば、私は性格も「線が細い」のかもしれません。ものにはひとつひとつの線があります。花に花、竹には竹、人間や服の線、全て線が違うと思います。しかし、なによりも「いきいきとした線」「勢いのある線」を描くことが出来るかどうか生命線です。世界中の焼き物を見渡してみても、古九谷・青手の骨描きの線ほど生き生きとした線はないでしょう。陶芸の絵付けを志すものにとって古九谷は、300年以上たった今でも燦然と輝き続けているのです。吉田屋がこの古九谷・青手の魅力に取り付かれ、再興九谷を興したように、及ばずながら私もいきいきとした満足のいく線を引けるようになりたいと思ってやみません。
また、器に描かれた世界は、凍りついた瞬間を閉じ込めたひとつの閉じられた小宇宙です。絵柄の余白の部分に、木々の木漏れ日、通り抜ける涼風、小鳥のさえずり、日の光を受けてきらきら輝く水面など、描かれていない背景まで自然に見えてくるような世界をつくれるように、精進していきたいと考えています。
古九谷青手の手法を受け継いで
自分でやらないと、思ったとおりの形はできない。越田秀平の家は、代々続いている九谷焼の雪山窯という窯元です。越前屋という屋号の焼き物屋の次男坊が初代で、二代・由太郎、三代・喜一、四代・健一郎、そして五代が秀平です。雪山窯とは、古九谷焼・吉田屋(再興九谷焼と呼ばれ、古九谷青手の手法を受け継ぐ)の継承してきた窯元。小さい頃から、お父さんもじいちゃんも絵を描いていて、私はいつも吉田屋風の絵柄を見て育ってきたのです。
当然のように九谷焼の世界に入り、九谷焼を極めるには、生地づくりからしなければならないと考え、日展作家でもあった親父の生地づくりと絵付けを手伝うようになりました。
色と形、両方をやらないと思いどおりのものは出来ない
九谷焼というのは、立体的なキャンバスに絵付けをするものです。絵付けだけでやっていても、頼んで形をつくってもらうことはできますが、本当に思ったとおりの形は出来ません。工程が多くなると時間がかかり効率は悪くなりますが、色と形、両方をやらないと自分の思ったとおりのものはできません。
両方やってみて、どちらも、おもしろい。生地作りだけではダメ、絵付けだけではダメ。両方することによって、はじめて作品として完結するのだということを実感しました。
また、これに焼き物独特の窯に入れての創作が加わります。
現代人は、視覚だけで全部が分かって知っている気になっていますが、陶芸には、完成するまでのプロセスがきわめて大切です。粘土のやわらかさというものは、子どもから老人まで楽しめることです。やわらかいものに火を入れて硬くなっていくという過程があります。火というのは古来より、人間が魅了されつづけてきたもの。その火の洗礼を受けてはじめて作品が生まれるのです。

















